きねぞう ~気ままに映画評~

映画の感想を述べていくブログです。

映画評:Jホラーにトドメを刺してしまった【貞子vs伽椰子】と小さな救い。

こんにちは。

杵蔵です。

 

本当にがっかりしました……。

Jホラーの終焉を垣間見た気がしましたよ。

 

貞子vs伽椰子

製作:2016年/日本

監督:白石晃士

出演:山本美月

  :玉城ティナ

  :安藤政信

  :佐津川愛実

  :菊地麻衣

評価:聴牌

 

ストーリー

女子大生の倉橋有里は、親友の夏美から両親の結婚式のビデオのダビングを頼まれるが、そのことで偶然入手した、“呪いのビデオ”を夏美が見てしまう。二人は都市伝説の研究家でもある大学教授の森繁に助けを求めるが……。

 

レビュー

実を言うと、私は日本のホラー映画があまり好きではありません。

いわゆる、Jホラー的な表現が、トロくさくてかなわないのです。

最近はとにかく情報を詰め込み、スピーディーに次々と展開が広げられる映画が多く、それらと比べてしまうと退屈に感じてしまう。

現在、ホラー映画は下火で、かつて社会現象を巻き起こした「リング」や「呪怨」の勢いはどこへやら。既に貞子や俊雄もシリーズが続くにつれポップアイコン化し、貞子が始球式を務めたり、俊雄や伽椰子はインスタグラム等でキャラ崩壊をさせている。

もはや我々が真剣に恐怖する対象はどこにもいない……と憂いていた所に、この映画の予告編を観た時は、「こいつらもここまで来てしまったか」と思う一方で、どこか淡い期待を寄せていた所がありました。

マンネリ化していたシリーズに風穴を開けた「ジェイソンVSフレディ」のような快作であれば、形は違えど、再び、ホラー映画に新しい風が吹くのではないか……そう思って観たのですが、結果としては散々な出来でした。

 

なにより問題なのは……

ぜんぜんっ、対決してねぇ!

 

という一語に尽きます。タイトル詐欺も甚だしいです。

やってることはと言えば、シリーズでやってきたお決まりの流れを焼きまわし同然に交互に流し、最期だけ、申し訳程度に、ヤッツケ仕事的にちょろちょろっと絡んでオシマイ……。

そんなのアリか?

色々言いたいことはある。呪いのビデオのタイムリミットが1週間から2日にご都合的に短縮されているとか、俊雄役を務める子役が幽霊のハズなのにもう成長して背が伸びちゃってるとか、でもそんな些末なことを吹き飛ばす「対決のなさ」にはビックリです。

この映画での長所と言えば映画の最期。あれだけはケレン味があって良かったと思う。

あと主題歌。聖飢魔IIの「呪いのシャ・ナ・ナ・ナ」は素晴らしかった。劇場で聴けてよかったです。今でもたまに聴いてます。

 

劇場と言えば、子供たちが結構観に来ていたのが意外でした。

今時の子供なんて、わざわざ映画館で映画を観る以外にも色々な娯楽がある筈なのに。

子供料金とはいえ、彼等のお小遣いでは、映画代はけっして安くはない筈。それでも「貞子vs伽椰子って面白そうだよね」とホラー映画を観に来てくれることに、なんだか嬉しくなってしまう。上映後、キャッキャ言いながら、怖がり楽しんだ様子で劇場から出ていく彼等をみて、中学3年生のころ、友達と「着信アリfinal」を観て怖がっていた自分を思い出し、なんだか感慨深くなりました。彼等が喜んでいるなら許してやろう、などと、チョー偉そうなことを思いながら私も映画館を出た次第です。

ではまた。

 

映画の評価方法について

 

当ブログでは、映画の評価を麻雀の点数に例えて採点します。

理由は100点満点などで点数をつけるのが苦手だからです。

 

【評価順位:12段階】

 

 

役満  :オールタイムベスト級

三倍満 :殿堂入り。忘れられない特別な1本

倍満  :激賞。スタンディングオベーション

跳満  :絶賛。迷わずオススメ

満貫  :賞賛。条件付きでオススメ

四翻  :悪くない。もう一歩

三翻  :フツー

二翻  :あんまり良くない

一翻  :トホホな迷作

聴牌  :時間の無駄

不聴  :ゴミのような映画

チョンボ:映画のようなゴミ

 

よろしくお願いします。

映画評:みんな大好き【アイアムアヒーロー】を何故、それほど評価できないか。

 

 

こんにちは。

ご無沙汰しておりました。杵蔵(きねぞう)です。

花澤健吾の同名コミックを映画化した「アイアムアヒーロー」がすこぶる評判高く、

私も期待して観に行ったのですが、結果としてはイマイチだと感じました。

 

 

アイアムアヒーロー

製作:2016年/日本

監督:佐藤信介

出演:大泉洋

  :有村架純

  :長澤まさみ

  :吉沢悠

  :岡田義徳

評価:二翻

 

ストーリー

売れない漫画家、鈴木英雄はアシスタントの仕事に向かう途中、奇異に巻き込まれる。

世界中で蔓延している謎の奇病により、周囲の人々は人間を食らうように暴れだすZQN(ゾンビ)化していた。

生き残ろうと逃げ惑う中、英雄はひょんなことから女子高生の早狩比呂美と行動を共にすることになるが……。

 

レビュー

そもそも、この漫画は、映画という形で魅力を引き出すには、難しい素材だと感じます。

ここでは、最初に原作漫画について触れていきます。

原作「アイアムアヒーロー」第1巻の時点では、はっきりとゾンビディザスターは起きません。

主人公である鈴木英雄の、冴えない漫画家としての生活描写がほとんどを占めており、英雄の内面性であるとか、漫画に対する想いであるとか、恋人の徹子との関係性など、人間ドラマのディティールで埋まっています。所々、ゾンビの影はありますが、それも伏線のような扱いでしか、登場していません。

これは、英雄の生活描写を丹念に描くことで、読者の感情移入及び、漫画の中に、現実的な世界観を作ることを狙ったものと思われます。さらに同時に、ニュースでの報道や、あちこちでの奇妙な現象を挟みこむことで、ゾンビの感染が次第に世界を侵食しているという、静かな恐怖も演出しています。確実に問題は進行しているのに、主人公を始め、周囲の人々がそれに気づいてないという、温度差のようなものが、とてもリアルに感じられ、もし、日本でゾンビディザスターが発生した場合のシュミレーションのような出来栄えになっています。

第2巻、ゾンビディザスターが本格化し、街中で大混乱が起きます。自分が襲われている事に気づかないまま死んでいくなど、漫画では、感染に巻き込まれた人間のリアリティあるリアクションがとても印象的です。

今まで英雄の人間ドラマに迫っていた格調から、いきなり大災害をありのままに映し出すパニック映画のような様相へと変貌していくので、「何が起きているんだ?」「これからどうなってしまうんだ?」という興奮や興味の持続性があります。

また、作中で登場する場所は、御殿場アウトレットモールを始め、現実の日本に存在する所が多く、実際の写真をトレースした背景で描き、かつ“見開き”を多用、画面外から唐突に飛来してくる物体やゾンビを描くことで、ダイナミックな画面を表現しており、『漫画』という形式から逸脱し、実写映画を観ているような気分にさせてくれるのです。

 

原作の魅力をまとめると、

・ゾンビディザスターが発生するまでのリアリティの積み重ね

・人間が襲われた時のフレッシュなリアクション

・トレース背景や見開き等を使った、漫画から逸脱した「映画的な」見せ方の工夫

ということになります。

 

今回の映画は……

・2時間で物語をまとめなくてはならいため、ディザスター前の描写はほとんど省略

・ゴア描写は頑張っているが、フレッシュさは無い

・漫画でしたからこそ映えた映画的な手法は、実写映画としては魅力にならない

という結果になりました。

 

「キャラクターの見た目が似てるよ!」という声が多いようですが、それってそもそも重要なのかな……?

一番大事なのは、原作が持つ面白さやテーマの「キモ」じゃないのかな。

それに、確かに大泉洋演じる鈴木英雄は似ていると思ったけど、女性キャラクターはまるで違う。

早川比呂美も、

本田つぐみも、

黒川徹子も、

原作では決してわかりやすい美形としては描かれていないのに(早川比呂美だけは、連載が続くにつれどんどん顔が可愛く変わっていくけど)、それぞれ演じるのが、

有村架純、

長澤まさみ、

片瀬那奈って……。

大人の事情だから仕方ないにしても、恋人役の黒川徹子だけは美形にする意味がない。あんな綺麗な彼女が居たら、英雄の負け犬感が損なわれてしまうじゃないか!

 

主人公の職場仲間である「三谷」の扱いも良くない。

映画化するに辺り、三谷の人物描写やエピソードを削るのは仕方ない。それでも、映画内でキャラクターに整合性が無いのはどうだろう?

ドランクドラゴン塚地演じる三谷(原作漫画では、映画監督の三谷幸喜まんまの顔)は、ゾンビディザスターが発生して「これからは俺たちの時代だ!」と奮起していたのに、その直後に「あいつらみたいにはならないぞ!」とカッターで自害してしまう。

 

富士の樹海で早狩比呂美と二人で逃げる場面も無駄に長い。

物語的にさほど重要じゃない筈で、あんな所に尺を使うくらいだったら、別の場面に使った方がいい。ただでさえ物語を映画内にまとめるのは大変なのに。

 

アウトレットモールの場面も、もっと工夫が必要。

食糧庫で皆がカップ麺などを必死に探す中、主人公だけが猫缶を探す所は面白かったです。しかし、せっかく映画化するのであれば、原作では描かれなかったモールでの「ドーン・オブ・ザ・デッド」ばりの楽園を描いて欲しかった。

また、ロッカーに閉じこもりながら、仲間を助けに行くか逡巡する場面は良かったです。助けにいこうとするとゾンビに噛まれてしまう想像をする所がグッド。ただこの場面は、ゾンビに襲われる想像を、もっとバリエーション豊かに執拗にやっても良かった気がします。それこそ「ショーン・オブ・ザ・デッド」で、主人公たちが逃走プランを何度も練っていたみたいに。

最後のゾンビとの攻防もまるでつまらない。

ショットガンをただ左右に向けて発砲しているだけなんて。もっとモールならではの高低差とか遮蔽物を活かしたアクションが欲しい所です。どうでもいいっちゃどうでもいいんですが、サンゴの最期も意味不明。「あいつらと約束したのによぉ」みたいなセリフを言いますが、おまえ、そんなキャラだったっけ?悪役から改心するにしても唐突すぎる……。

前述した通りゴア描写は頑張っているし、監督の手腕によって救われている所もあると思いますが、やはり、原作の表面的な部分をなぞった凡庸なゾンビ映画になっている感は否めません。みんながこの映画を応援するのは、日本に碌なゾンビ映画がないからという理由もありそうですね。

私がオススメできるのは、友松直之監督の「ゾンビ自衛隊」か、竹中直人監督の「山形スクリーム」くらいですかね。

 

ではまた。

 

【映画評:チャッピー】

こんにちは。

杵蔵(きねぞう)です。

 

今回紹介する作品はこちらです!

 

チャッピー

制作:2015年/アメリカ

監督:ニール・ブロムカンプ

出演:シャールト・コプリー

  :デーヴ・パテール、

  :ダイ・アントワード

  :ヒュー・ジャックマン、

  :シガニー・ウィーバー

 評価:役満

 

ストーリー

 近未来のヨハネスブルグ。政府は人工知能を搭載した二足歩行兵器「スカウト」を導入し、犯罪率の激減に成功を収めていた。ボスへの上納金に困窮していたストリートギャングの三人組は、スカウトの操作装置を奪う計画を図り、その本体の強奪を狙っていた。一方で開発者のディオンは、スカウトを兵器としてではなく、感情や意志を持つ人間らしいロボットの研究を進めていた。やがて彼は、ついに「心」の創造に成功し……。

 

 

レビュー

「第九地区」で脚光を浴びたブロムカンプ監督が送る、SFアクション超大作。

正直申しまして、同監督作の「第九地区」が嫌いな部類の作品だったため、あんまり期待はしていなかったのです。

映画予告のポスターには、二足歩行型ロボット(チャッピー)が壁にラクガキをしていて、「ボクを、なぜ怖がるの?」というキャッチコピーがついていました。

これを見て、「ははぁ、近未来を舞台に、家庭用愛玩ロボットが次第に暴走しはじめるSFサスペンスかな?」などと見当違いをしながら観たのですが、結果的には、

 

「アンドリューNDR114」と、

「攻殻機動隊」と、

「ロボコップ」を足して、

 

何も割らないみたいな内容でした。

 

最高です。

 

映像、音楽、アクション、人間ドラマ、どれ一つ拾い上げても一級の質を誇り、「生命とは何か?」、「人間を人間として定義させるものは何か?」といった、心に深く突き刺さる問いかけをも投げかける。このような映画に出会えたことに、僕は快哉を叫びたい。この作品に限っては、この場ではどれほど言葉を重ねた所で、この映画を正当に評価する賛辞には到底追いつかないですね。

 

「心」を埋め込まれたスカウト、「チャッピー」は、初めはまるで赤ん坊のような真っ白なキャンバスを持っていました。彼は、人と会話をし、世の中の仕組みを知り、好きなものと嫌いなものの区別ができ、自分だけの芸術も生み出す無限大の可能性を秘めていたのです。

しかし、彼を誘拐したギャングの恐るべき教育によって、チャッピーは強力な殺戮兵器と化していく。しかし、彼は人を殺すことを「悪」と認識できないのです。いや、人を殺すという行為すらも正しく認識できていない。ギャングに利用され騙され続けたチャッピーはあくまで純粋無垢な存在であり、それが何よりも切ない。

そして、それぞれの思惑や執念は、終盤になるにつれ対立の加速を増し、脳内麻薬溢れんばかりの洗練されたアクションへと収斂していきます。映画が与えてくれる、あらゆる素晴らしさが詰まった、永遠の名作です。

ではまた。

 

【映画評:CUBE】

こんにちは。

杵蔵(きねぞう)です。

 

今回紹介する作品はこちらです!

 

 

CUBE

制作:1997年/カナダ

監督:ヴィンチェンゾ・ナタリ

出演:モーリス・ディーン・ウィント

  :ニッキー・グァダーニ

  :アンドリュー・ミラー

  : ニコール・デ・ボア

  :デヴィッド・ヒューレット

評価:跳満

 

 

ストーリー

目が覚めると、彼らは鋼鉄の立方体の部屋の中に居た。突然理由もなく閉じ込められた六人の男女。ここは何処なのか、一体誰か閉じ込めたのか。何も知らされないまま、彼らの死の脱出が始まろうとしていた……。

 

レビュー

ソリッド・シュチエーションの先駆け的存在にもなった、パズル型ホラー映画の傑作。理不尽に幽閉された彼らの混乱と恐怖を描く。

ある日、突然見知らぬ巨大な密室に閉じ込められる。「誰が、何のために?」から始まって、あらゆる謎に満ち溢れているこの「キューブ」はとてつもなく恐ろしい映画です。この迷宮は、沢山の無機質かつ正確な立方体の部屋によって構成されており、一つの部屋につき扉が六つ、すなわち縦横無尽に部屋が連なっています。まるでルービックキューブを彷彿とさせるそれらの部屋には、中にはおぞましい罠が仕掛けられており、脱出を試みる者の行く手を阻みます。一体この空間はどこまで続いているのか……訳も分からないまま、彼らはこの迷宮から抜け出すしか道はないのです。

何よりもこの映画で恐ろしいのは、この施設を作り出し、彼らを閉じ込めた「誰か」が存在するということです。脱出を目指す彼らが次第にこの迷宮の仕組み、法則性に気づきだしていくにつれ、じわりと恐怖が立ち上ります。つまり、この迷宮を生み出したのは、幽霊や妖怪のようなスーパーナチュラルな存在ではなく、血の通う列記とした人間だということを理解するのです。誰かが確実な悪意でもって、彼らを閉じ込めたことが判明します。この迷宮を生み出すには莫大な資金や時間を費やす筈であり、多くの人間がこの建造物の設計に関わっている事は容易に想像がつきます。

そして最初はお互いに協力して脱出に臨んでいた彼らも、この絶望的な状況から次第に疑心暗鬼になり、分裂し、狂い出していきます。やはり人間が、一番怖いのだと再確認させられる一作でした。

理由もわからずとある場所に男女が閉じ込められる、という作品は、今では沢山出ているようですが、本作がパイオニア的位置づけでもあり、そのジャンルの中でもよく出来ていると思います。

 

ではまた。

【映画評:スクリーム】

こんにちは。

杵蔵(きねぞう)です。

 

今回紹介する作品はこちらです!

 

スクリーム

製作:1996年/アメリカ

監督:ウェス・クレイヴン

出演:ネーブ・キャンベル

  :コートニー・コックス

  :ドリュー・バリモア

  :スキート・ウールリッチ

  :デヴィッド・アークエット

評価:跳満

 

 

ストーリー

カルフォルニア州の田舎町、ウッズボローで、高校生のカップルが惨殺される事件が発生。しかし、悲劇はまだ終わらなかった。一年前に母を殺され、心に傷を抱えるシドニー・プレスコット。彼女の元に、不気味な声の電話が掛かってきて……。

 

レビュー

スリラー映画の新鋭、ウェス・クレイヴンが放つ傑作ホラー。過去のスラッシャー映画の、陳腐な所や破綻を逆手にとった脚本で話題を呼び、飽和していたホラー映画の復権にも貢献しましたね。

作中の登場人物は、今までのホラー映画の世界観や順序を理解しており、劇中の中でその弱点やほつれを指摘し、茶化したりします。しかし、その「お約束」に沿うように、あるいは裏切られるようにして、彼らは一人、また一人と殺されていく演出が心憎いです。例えば主人公が「家の中で殺人鬼に襲われたのに、外に出ずに二階に上がるのはおかしい」というホラー映画の常套展開に対して苦言を呈しますが、本当に殺人鬼に襲われた時には、自分も外に出ることができず、仕方なく二階に駆け上がってしまう所が皮肉です。

他にも登場人物にクレイヴン自身が監督した「エルム街の悪夢」について喋らせ「一作目は面白いけど、二作目以降はダメ」など、自身が関わっていない続編については痛烈に批判したりするなど、知っている人ならばニヤリとさせる場面があります。

これは、往年のホラー映画の「お約束」を理解している観客にとって、今まで鑑賞中に、痒いところに手が届かなかった部分を俯瞰した視点によって描き、メタ構造による新たな表現を生み出しました。今となってはこの「お約束」を踏襲したホラー映画は腐るほどありますが、本作がそれらの作品の影響に寄与しているのは、言うまでもないでしょう。

ひたすらホラー映画のルールについて言及したりする本作ですが、中身は王道のスラッシャー映画。ポップコーンとコーラをお供に、仲間内でゲラゲラと鑑賞するのが一番望ましいですね。

さらに言えば、2作目、3作目もシリーズ物にしては珍しく、なかなか面白いので、本作が面白いと感じた方ならば、続編を鑑賞することもオススメです!

ではまた。

 

【映画評:櫻の園】

 

こんにちは。

杵蔵(きねぞう)です。

 

今回紹介する作品はこちらです!

 

櫻の園

制作:1990年/日本

監督:中原俊

出演:中島ひろ子

  :白島靖代

  :宮澤美保

  :つみきみほ

  :岡本舞

 

評価:跳満

 

 

 

ストーリー

桜の散りかける季節、私立櫻華学園高校は今年も創立記念日を迎える。演劇部では、創立記念日恒例の舞台、チェーホフの戯曲「桜の園」の上演を間近に控えていた。しかし、前日に演劇部の三年生が喫煙で補導されたことから、上演中止の噂が演劇部の中で流れ始めて……。

 

レビュー

原作は吉田秋生の同名オムニバス漫画。開幕直前の舞台裏を中心に、上演中止の騒動に翻弄される彼女たちの心の機微と友情を描く。

監督の中原俊は、密室劇を描くのがとても上手いと思います。

一年後の91年に発表する「12人の優しい日本人」では、裁判員制度に選ばれた男女たちを一室の中で個性豊かに描いた訳ですが、今作はその主要人物が全員演劇部の女子高生であり、人物の描き分けはより困難なハズ。しかし、二十人近い演劇部の少女たちを、二時間にも満たない限られた時間の中できちんと描いているのが驚きです。

おそらく、部員たちの人となりや、バックボーンをきちんと設定しているのでしょうその描き方がとても優れています。演出が秀逸で、本当に彼女たちが私立櫻華学園高校という学び舎で過ごしているように、いきいきと描かれています。

朝、演劇部の部長と舞台監督の二年生のやりとりから、次第に部員が集まりだしていくのですが、その様子の中に、それぞれの登場人物の関係性や思惑がさりげなく散りばめられており、観客は、それらの描写の一つ一つから、この物語の背景や進行を快く類推していく事ができます。

なにより僕は鑑賞中この「作業」がとても楽しかった。限定された舞台の中で、少女たちの仕草や言動の意味が、物語が進むにつれて脳裏に拓かれていく。

そして何よりも、彼女たちの細やかな表情の動きや、紡ぎだされるセリフが、名状しがたい流麗な場面を映し出し、絶え間ない耽美の流露が心地良い。

それは、一つのスクリーンを常に眺めながら、ひたすら映画の世界に没頭し、考えを巡らせる、映画ならではの純粋な楽しさであると言えます。説明的な台詞や、安易な解説は、瞬間的な見せ場を求められるテレビなら許されると思いますが、映画では御法度だと僕は考えています。

毎年咲く桜は、いつも同じように見えるけれど、しかし、彼女たちにとっては二度とない瞬間であることは間違いでしょう。本作は、その一瞬を捉えた名作ですね。

ではまた。